

牧庵鞭牛(愛称:鞭牛和尚)は、1710年、和井内村(現在の宮古市和井内)の農家に生まれました。
若い頃は牛つかいをしていましたが、22歳で出家します。その後、42歳から73歳で亡くなるまでの約30年間、つるはしを握りしめ、100里(400km)にもおよぶ道路を切り開いたと伝えられています。鞭牛和尚は、道路工事に生涯をかけ、数多くの難所を克服し、村と村、人と人とを結ぶ道路をつくることで、人々に希望を与え、地域発展の基礎をつくりました。
人々を救うことに喜びを見出し、生涯を道づくりにささげた鞭牛和尚の姿は、いつまでも私たちの心の中で、生き続けていくことでしょう。
道をつなぐワケ~いつの時代も変わることのない、人々の願い~
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人や馬が通る車のない時代に、 安全に歩くことができる道がほしい! |
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安全で丈夫な、広い道をつくろう! |
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昔、内陸と沿岸をつなぐ道は、谷や川にそった、せまくて危険な崖づたいの小道でした。 川が増水すると、すぐに通れなくなる道だったため、山あいに住む人々は、洪水やきょう作になると、食べ物や薬が届きにくい場所でした。 |
鞭牛和尚は、危険な道のために苦しむ人々を助けたい、という思いから、道づくりを始めました。鞭牛和尚によって切開かれた道は、大雨が降っても川にしずむことがなく、安全で丈夫なものでした。また荷物を運ぶ馬や牛が通ることができる広さの道ができ、内陸と沿岸で品物の行き来が盛んになりました。 | ||
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より安全に、かつ最短で、 車が通ることができる道がほしい! |
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危険なカーブを解消して、直線的で 安全に通行できる新しい道をつくろう! |
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内陸と沿岸をつなぐ道は、地震や大雨で土砂崩れがおきたとき、通行が難しくなりますが、代わりとなる道がありません。 また急カーブが続き、冬に道路が凍結すると、車で通行するにはとても注意が必要です。 |
くねくねした山道を解消するため、まっすぐで、車が安全に通行できるトンネルをつくります。トンネルによる新しい道ができることにより、災害時でも、物資の輸送がスムーズになります。 また、沿岸の病院では治療ができない病気やけがをした人を、より大きな病院のある内陸へ救急車ではこぶときも、より安全で便利な道により、患者さんや救急隊の負担を軽減することができます。 |
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どうやってつなぐの?!~進化する工法と技術~
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ツルハシとゲンノウで こつこつ岩を砕く! |
大きな岩をくだく工夫
![]() 岩が砕きにくい時は、岩の上に木を積み重ねて燃やし、岩を真赤に焼いたところへ、水をかけて、急に冷やすことで岩にひびを入れます。そのひびを「げんのう」や「つるはし」でたたいて、大きな岩を砕くという工夫をしていました。
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鞭牛和尚は、高い岩場をけずったり、土を盛るなどして、川の水面すれすれだった道を、安全な高さにしました。鞭牛和尚が使ったのは、「つるはし」や「すいさび」、「げんのう」といった基本的な道具でした。
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おしょうさんの道具
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山堀りが得意な機械で頑丈につくる! | |
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トンネルをつくるしくみ現代では、大きな機械や火薬を使って岩を砕いて、その岩を外へ運びだし、山がくずれないように吹付けコンクリートでおさえて、トンネルを掘っていきます。最後に、コンクリートで覆工して、みなさんが通行できるトンネルになります。 |
火薬を入れるための機械
硬い山の岩に、ホイール式ジャンボという機械を使って、火薬を仕掛けるための穴を掘ります。その穴に、火薬を詰めて爆発させることにより、硬い岩を砕きます。
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道づくりがひとをつなぐ
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村人と一緒に道をつくる! |
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鞭牛和尚は、ひたすら岩を砕きながら道づくりを進めていきました。その姿をみた村人たちは、一生懸命な鞭牛和尚の姿に心を打たれ、ひとり、ふたりと手伝い始めます。多くの村人たちの力を結集し、内陸と沿岸がつながったのです。 | |
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みんなの力を合わせて、 新しい道をつくる! |
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道路をつくるには、土地を所有する地権者の方から用地を提供していただき、計画をする人、設計する人、実際に工事を行う施工の人など、それぞれの分野の専門家が知恵を出し合います。道が険しいので、とても難しい工事ですが、鞭牛さんをみならって、みなさんとともに工事を完成させる日をめざしています! | |
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